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リリイ・シュシュのすべて

 自分が通っていた中学校は、なかなか荒れていた。高校に上がって中学校名を言うと「あー、あの不良校の…」とか言われたり、生徒指導の先生が異動になったのは責任を取らされたからだなんていう噂が立つくらいには(今年校長先生として戻ってきたようで、おめでとうございます)。

 そんなところだったので、クラスメートが朝登校してきてカバンを開けたらハローマックから盗ってきたPSoneが入っていて、それを視聴覚室のテレビに繋げて遊んでいるところを見つかり謹慎になったり、またはキン肉マンの文庫全巻セットが綺麗に収まっていてそれを授業中に読んでいたりするのが日常の光景で。

 俺自身は優等生だったので自分の手を汚すことはなかったのだけれど、その辺の連中とは何故かそこそこ仲も良く一緒に遊ぶことが多くて、でもやはり一線を越えられない壁もありそいつらがすごく眩しく見えた。今になって思うと俺が学級委員をやっていて色々な違反を見逃す代わりに万引きの恩恵に預かることもあったのでそのへんのパワーバランスで成り立っていた関係なのかもしれない。

 

 中学生というのはとにかく不安定だ。いじめられっ子だった側の人間がある日突然いじめっ子に変貌したり、逆にいじめていた側がいじめられっ子になることもある。真面目で内気だった生徒がいきなりガラも態度も悪くなったり。もっとも、俺のクラスにいたそいつは半端者感が拭いきれなくて不良グループからも相手にされず、道化のような存在のまま高校にも進めずひきこもりになったと聞いているけれど。

 そうした不安定な人間には絶対的な存在が必要なんだと思う。身近な人間であろうが、リリイ・シュシュであろうが。自分を救ってくれる絶対者が。現状を変えることはできなくても、崩れそうになる精神を再び形成してくれる存在が。

 自分には絶対者というものはいなかったし、それは今もそうだ。おそらく一生宗教にハマることはないし、救いを求めることもない。でも必要としていないわけじゃない。多分傍から見たら恵まれた人生を歩んできていて、絶対者を必要ともしない側の人間に見えるんだろうな。浅い苦悩しか持っていないように見えるかもしれないし。

 

 この映画、色んな視点から見ることができると思うんだけど、社会問題とか時事的なものを取り扱ってる割にソレジャナイ感が強くて。映画の公開が2001年で当時俺が15、6歳。ほぼ登場人物と同世代で、バタフライナイフやらバスジャックやら荒れる14歳だのキレる17歳だのが話題になったのを、この映画の中に出てくるのを見て思い出した。でも社会問題なんてもんは正直どっか別の国の話で、中学生にとっては身の回りのことだけが自分たちの世界なのでよその国の同世代が事件起こそうがどうでもいいのよね。この映画も特段社会問題としてのアプローチも、ましてや解決方法の模索なんかもせず、淡々と鬱屈とした14歳の日常を描いていてそれがすごく良いなって。

 

 音楽と映像は言うまでもなく。映像に関しては田園風景ってこんなにも美しいものなんだなあと思わされるし、津田がカイトを飛ばすシーンから続く数分間とか、星野が枯れた田んぼの中で叫ぶシーンとか、印象的な部分がたくさん。あとリリイシュシュって最初UAだと思ってたんだけどSalyuだったのね。charaといいこういうオルタナ系好きなんだなー、そしてまた映画とよく合う。bankbandみたいな自意識と思想のダブルパンチみたいなのぶっちゃけ好きじゃないんだけど、こうやって聞いてみるとたまらなく琴線に触れるものがある。映画ってすごい。

 

 インターネット掲示板、というものに時代を感じる。インターネット=匿名だったころ。2001年だと俺もまだあまりネットはやってなかったかな?と思って当時のこと思い出してたんだけど、ダイアルアップ回線で画像1枚見るのに2分とかかかるレベルの環境で2ちゃん見てたんだった。今のネットって昔に比べて相手が見えるようになった気がする。

 大学時代(特に1、2年生の頃)友達が本当にいなくて、自分の生きている世界の中心が2ちゃんだったことがあるのよ。カラオケが好きだったからカラオケ板に入り浸っていてそこで人生初となるハンドルネームを持って固定のメンバーと毎日やりとりしていて。今もツイ廃でtwitter入り浸ってるけど当時の比重は(精神的な意味で)比べものにならなかった。当時はそれが唯一のコミュニケーションで救いだった。

 蓮見にとって直接の神様はリリイシュシュなので少し話は違うけれど、リリイシュシュを崇めるファンサイトを星野という自分から色々なものを奪った人間に侵食されたときの絶望感はわからなくもない。救いを求めるくらい依存していた場所と相手が無くなってしまったら。最後にダフ屋からチケットを買わなかったのはもはや純粋な救いとしての価値を星野に奪われてしまったからなのかな。チケットを奪われても見ようと思えば見れたはずなのに。

 あのあとリリイシュシュを聞かなくなった蓮水は代わりの神様を探すんだろうか。自分が守れなかった久野を代わりにはできないよなぁ。強く生きる久野を見習って蓮水も立ち上がるんだろうか。いじめられてもレイプされてももはやリリイシュシュを必要としなかった久野の印象は強く残るけれど、そうやって生きていける人間なんてどのくらいいるんだろう。