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記憶

なぜ文章を綴るときはこんなにも平穏でいられるのに、同じアウトプットでも人と面と向かって話すのは苦手なんだろう。もちろん相手にもよるし、書くのは自分のペースでいいからってのもあるんだけど、同じ時間で頭に浮かんでくる情報量が違う。

 

色々なものへの不安から逃れられない。

仕事がうまく回るかどうかの不安、きちんと生きていけるかという不安、病気になってもお金が払えないんじゃないかとかそのうち住むところもなくなったらどうしようとか。俺が普段から口にする、同年代に比べてライフステージを上がるのが遅いってのもそうなんだけど、気がつかないうちに詰んでる状態になるのが一番怖い。

仕事内容にも共通するんだけど先が見通せないんだよね。裸足で地雷原を歩いていることは何となくわかるんだけど、探知機も何もないから踏むまでわからないみたいな。

でも探知機もどこにあるかわからないし、あったところで自分が手に入れられるかもわからない。

 

やることをやればどんな形であれ結果は出る、逆に言えば今やれることをやるしかない、っていうのがこれまでの自分の生き方で。それで割とうまくやってこれたんだけど、今はそれだけじゃなくて要領よく最適解を見つけなくてはならないという感じ。真っ向勝負で自分のタスクと戦って勝ててきたのは今思うと本当に運が良かったのかもしれない。仕事で言えば片っ端から力技で仕事を片付けるんじゃなく、上手く上に相談して仕事を減らしてもらうとか、人生的な面で言えばお金を何も考えず貯めるんじゃなく保険の貯蓄を上手く使う、みたいな(例えが適切かいまいちわからない)

それが狙い通りうまく回るかもわからないから怖いんだけどね。

みんなそういう恐怖を抱えて生活してるのかなぁ。

 

普通でありたい、ってよく思う。別に今の自分が異端だとかそういうことではなく。

自分の持つステータスが平均値であってほしい。貯蓄もそうだし、仕事の要領、月の飲み会の回数、旅行に行く回数、集中力、先を見通す力、健康状態、何でもそう。

世の中の平均、というものを知らないし、同世代がどういう暮らしをしているのかよく知らないからとても不安になる。これもまたライフステージの話につながってしまうか。

 

心なんて一生不安さ、なんて言葉で達観することができるほどの強さは持ち合わせていないし、いざとなったら死ねばいいなんて思えるほど視野を狭めることもできない。

一般人というには情緒不安定で社会不適合だけれど、メンヘラ・廃人というには普通に生活できてしまっているので似たような境遇の人と話す機会もあまりない。多分ガチなメンヘラコミュニティーなんかだと健常者扱いされると思うんだよな、今は薬も飲んでないし。ちゃんと眠れてるし。

職場は完全に健常者コミュニティーだから眩しすぎて目も向けられない。傷の舐め合いしたいんだよ、大怪我ではないかもしれないけど、日々の切り傷だって痛いものは痛い。

 

大学を出てからも東京に住んでる理由は、東京でしかできない体験をしたかったからなんだよな。ライブ、夜のイベント、雑貨や服、煌びやかな部分ばかりが目について。その割には自分の行動力のなさのせいで東京に住む楽しさを享受できている気がしないけど。

何か軸になるものが欲しい。これさえあれば嫌なことも乗り切れるみたいなもの。残念ながらライブはそうじゃないみたいで、今日もファムファタールメガマソのライブ行けなかったし。

もう少し、何とかならないものか。