祈灯

今年はいつにもまして年末感が薄かった。

実感が湧いてきたのがここ2,3日くらいかな。

新年に向けてそわそわした空気が漂ってきて、テレビは1年のニュースを振り返って、あの雰囲気が何とも言えず好きなのでちょっと残念。

年が変わる前って、とりあえず形だけでも前向きな言葉が並ぶじゃない、「来年は良いニュースが増えるといいですね」とかさ。毎年毎年同じことの繰り返しだし、その通りにはならないだろうとみんな思ってても。

実際年が変わるだけでリセットできることなんてないし、不安は消えないし、すぐにまた苦難に直面させられる1年が始まるんだけど、この数日だけはめでたい空気に流されることが許されるのがいいなーと思う。

あとたくさんの人が祈りを捧げる時期だってこと。戦没者への祈りとか被災者への祈りとか、日本で祈りっていうと過去と向き合うことが多い中で数少ない未来に向けた祈りが見られる行事なので(個人単位ではもっと普段から前向きなのが多いだろうけど)、なんかそれだけでも穏やかな気分になるというかね。

結構周りの空気に流されやすい人間なので。お正月番組とかも無理やりワイワイやってるような歪さは感じるし、バカバカしいなーとは思うけどそういうのも必要なんだろうな。形だけでも、っていうのが意外と大事なのかもしれないっていうのはこの歳になって感じるようになってきたこと。

 

ベタに今年のことを振り返ってみると色々変化がありすぎて長くなるから全部は書かないけど、ヴィジュアル系関連でいうと初めてバンギャルっぽいことができた気がするのが良かったなーって。

ずっとライブは1人参戦で、サッと見てサッと帰ってレポ書くみたいな事しかしてなかったのが、1月のyazzmadワンマンを機に色んな人たちが会場で声をかけてくれるようになって。好きなバンドのことであーだこーだ喋ったりするのが楽しくて。ほとんどの人にとっては普通のことなんだろうけど、俺からしたらバンギャル歴十数年目で初めてのことばかりですごく貴重な経験だったんですよね…。

元々一つのことにのめり込むのが苦手な性分で、ちょっとハマってもどっか冷めてるというかファンとしての熱の入り方が弱いのにそれでもみんな構ってくれて本当感謝しかないです。それと同じくらいにお返しできる何かがなかったのが申し訳ないくらい。今年は解散ラッシュの年でもあったので来年以降会場で会う機会は激減するんだろうけど、その前にこういう年があって良かったな。

 

来年は、どうやって過ごすか全然考えてないけど「普通の」生活が加速していくんだと思う。

同年代と同じライフステージに立てないことへのコンプレックスがずっとあったのだけど、それはどっかで自分がそれを選んでたんだろうなーと思う。ピーターパン症候群というか、若い人たちみたいな生活への未練が断ち切れなくて。

いや、キチンと多くの若い人たちみたいな過ごし方をしてこれなかったからかな、リア充的な生活も、バンギャル的な燃焼の仕方も。若い時間を持て余してしまってうまく成仏できなかった地縛霊がずっと住み着いていて、次のステージに進むことを拒んでいたのがようやく少しだけ諦めがついた。気がする。少しだけ(強調)若いうちに斜に構えても良いことはないね…

 

年越しにブログ更新するとどうしてもありきたりなことになってしまうな。

今年もお世話になりました、来年も今年以上に充実して過ごせますように。

 

 

ヒトツキブリ

もうすぐ今年も終わりますね。

振り返りの記事はまた改めて書きたい。

今年中に書けるかなぁ。

色々書きたいことはあるんだけど。音楽関連。

引越しとか日常を書いてもね、あまり楽しくないなと今更。

最後の夜

PCのインターネット回線がないので、スマホから。

いつもPCで音楽を聴いてたから今は無音。

なんか不思議だ。


今の気持ちを例えると何だろうな。

釈放を控えた模範囚でもあり、死刑直前の死刑囚でもあり。

捨てるものと得るもの、どちらが大きいのかまだわからないから。

単純に引越しが苦手で、環境が変わることのストレスとかがまず大きい。

これまで徒歩通勤、徒歩通学しかしたことないから満員電車に乗るの初めてだし。

今のところは下町で寂れてるとはいえ一応都内だしすぐに人ごみに出られたけれど、今度はいわゆるベッドタウンにあたるところで駅前こそそこそこ栄えてるものの家の周りは閑静な住宅街という感じ。


今思ったけどこうやって落ち着いて日記を書くこと減るだろうな。

それでも満たされてるなら良いのだけど。文章として吐き出すことと言葉で吐き出すことは全く別物だし、俺の場合言葉ではうまく伝えることが出来ないし。Howeverみたいだな…


一番怖いのは精神状態。どうなるんだろう?

自分のメンタルがどうなるかなんてわかるわけもないしね、1時間後すらわからない不安定さなのに。


居場所がないのは怖いことだから。

これまで逃げ込んでたのは新宿の人ごみとか広々とした公園とか。目的もなく歩くことで気持ちを落ち着けてたところもあって、それがこれからもできればいいな。


俺は立ち位置でいうと真っ当な人間寄りなんだと思う。少なくとも、他の人からはそう認識されてる気がする。真っ当な、ってのは一般的なレールから外れることなくっていう意味で。

手堅く生きてると思うよ、今のところ。メンタルもなんちゃってメンヘラ程度のものなので健常者との境界線上くらいだと思うし。もう今は薬も飲まずに生活してるし。

でも社会のはみ出し者ではないけれど、生きづらいのよっていう主張はしたくなる。


何の話だっけ。スマホからだと話が見えなくなる。

12年間の一人暮らしも今日が最後で、思い出すことと言えば学生時代の鬱屈とした毎日で。ホームシックになったことは無いし自由だけは満喫出来たな。俺にもっと行動力があったら、より一人暮らしの利点を活かせたんだと思うけど。朝帰りなんて数えるほどしかしたことないし。勿体ない。

今の彼女は趣味や性格理解してくれるのでロフトプラスワンの深夜イベントとか普通に行こうと思えば行かせてくれるとは思うけどさ…


高田馬場も中野も一本で行けるとはいえ、遠くなってしまうな。もう今年ほどライブも行かなくなるだろうな、yazzmadも解散してしまったし。あのバンドの存在を知った事が俺のバンギャルライフの一つの転機だったし、解散もまた大きな転機になった。今年は自分を取り巻く色々なものがこれまでになく変わっていって、とても疲れたけど濃かったよ、なんか。

特にバンギャルライフに関しては思うことはたくさんあるんだけど、それはまた別の機会に。

続・近況(引越しの話)

またしても引越しネタ。
前にも書いたとおり、彼女と一緒に住む予定でして、今日ご両親にもお会いしてきました。
前にも一度記念公園に出かけたことがあるのでそこまでハードルは高くなかったのだけど緊張することに変わりはなく。でも悪い反応ではなかった、と思う。

引越しの進捗状況としては、気になる物件の内見が終わって、仮申込し、来週あたりに契約するといったところ。
なんですけど、当初は連帯保証人は一人でいいということで話を聞いていたのでうちの親に頼んでいたところ今日いきなり「管理会社が審査するにあたり、今年中に結婚する予定でなければ両方の連帯保証人が必要になります」と言ってきまして。
先日の仮申込の時点で連帯保証人は片方でいいんですか?と念を押していたのでこの時点でハア?って状態だったんですけど、不動産屋は「予定は変わってしまうのは仕方がないので今年中に入籍予定ということにして進めてしまってもよいですか?」とかなんとか。

これ話があったとき向こうのご両親に会う直前でテンパってたし、他のカップルの方もそうやって入居してますとか言うのでうっかりわかりましたとか言っちゃったけど、普通に考えて良くないよなぁと。
もし契約書内に「結婚していない世帯の場合退去もありうる」とかそんな内容があれば困るし、そうでなくても大家とか管理会社と来年以降、例えば部屋の修繕や何かでやりとりするときにまだ結婚してないとかで気まずくなるのも嫌だし。
ちょっと明日不動産屋に話してやはり両方の連帯保証人を揃える方向にしてほしいと伝えないとなー。それはそれで、相手のご両親に連帯保証人になって欲しいと伝えなくてはいけないので契約日までのスケジュールが更にタイトになってしまうのだけども。

ただでさえ今、粗大ゴミを出す準備とか引越しの見積もり頼まないとなーとか色々頭を悩ませているのにこれ以上困らせないで欲しい・・・最初から保証人一人でいいとか言うなよなぁ。


引越しは今月末で考えているのだけど、果たして無事に引っ越せるんだろうか・・・不安。

うん、不安なんですよ。必要書類を期日までにきちんと揃えられるのかとか、引越しに掛かる諸々の費用が全部でいくらになってしまうんだろうとか、引越し先の環境(ほかの部屋の騒音とか)など落ち着いて住めるのかとか。いくらスケジュール立てて準備しても今回みたいにトラブルは出てくるものだと思うので。本当に精神的によろしくない。なので引越しが楽しいと思える人は本当に強いなあと思ったりします。

近況

ツイッターでも何度か呟いているとおり引越しをします。

でも、友人曰く「引越しの話になったとたん口数が減るし表情も暗くなる」ほど俺は引越しというものが苦手なのです。

苦手な理由としては

・正解がない

・引越し日から逆算して適切に片付けやら粗大ゴミ申し込みやらネットの解約やらを処理していかないといけない

・お金がかかる

かなあ。

 

正解がない、ってのは住む場所の選択肢ね。どの地域に住むか、どんな間取りで家賃のところを選ぶか、結果論でしか正解を語れないのが不安。逆に言えば正解は一つではないのだけど、どうしても100点でないと正解ではないみたいな意識があるんだよなぁ。

色々な処理に関してはそのままなんだけど、締切までに複数の処理をしていくっていうのが苦手。能力的にってのもあるけど精神的に。追い立てられる感じもあるし、多分予想するスケジュール通りにいかないじゃない?冷蔵庫とかネットで譲りに出す予定なんだけど貰ってくれる人が現れるかわからないしさ。そしたら結局引越し業者に捨ててもらうことになるのかな?不確定要素はできるだけ減らしたい。

お金がかかるってのは当然なんだけど、大きい買い物をするのがストレスになる人間なんですよ。買い物をしてストレス発散になるのはせいぜい数千円単位のもので、万単位に入ると今度は葛藤とか複雑な気持ちが入り混じってくる。小心者なのね。

こう考えると俺が苦手な要素のオンパレードなのだな…しかも初めて電車通勤になるし(これまで徒歩圏内だった)

彼女と一緒に住むってのも想像つかないなぁ。音楽聞く時間どのくらいになるんだろう。楽しい生活が待ってるのかなぁ。いや、楽しさと安心は間違いなく増える。それとともに失うものの方が未知数なのだな。

人生は選択の連続とかいうけど今これまででも有数の大規模な選択をしていて、なおかつ先が見えないという状態。目隠し感がすごい。

やるしかないんだけどね。

 

リリイ・シュシュのすべて

 自分が通っていた中学校は、なかなか荒れていた。高校に上がって中学校名を言うと「あー、あの不良校の…」とか言われたり、生徒指導の先生が異動になったのは責任を取らされたからだなんていう噂が立つくらいには(今年校長先生として戻ってきたようで、おめでとうございます)。

 そんなところだったので、クラスメートが朝登校してきてカバンを開けたらハローマックから盗ってきたPSoneが入っていて、それを視聴覚室のテレビに繋げて遊んでいるところを見つかり謹慎になったり、またはキン肉マンの文庫全巻セットが綺麗に収まっていてそれを授業中に読んでいたりするのが日常の光景で。

 俺自身は優等生だったので自分の手を汚すことはなかったのだけれど、その辺の連中とは何故かそこそこ仲も良く一緒に遊ぶことが多くて、でもやはり一線を越えられない壁もありそいつらがすごく眩しく見えた。今になって思うと俺が学級委員をやっていて色々な違反を見逃す代わりに万引きの恩恵に預かることもあったのでそのへんのパワーバランスで成り立っていた関係なのかもしれない。

 

 中学生というのはとにかく不安定だ。いじめられっ子だった側の人間がある日突然いじめっ子に変貌したり、逆にいじめていた側がいじめられっ子になることもある。真面目で内気だった生徒がいきなりガラも態度も悪くなったり。もっとも、俺のクラスにいたそいつは半端者感が拭いきれなくて不良グループからも相手にされず、道化のような存在のまま高校にも進めずひきこもりになったと聞いているけれど。

 そうした不安定な人間には絶対的な存在が必要なんだと思う。身近な人間であろうが、リリイ・シュシュであろうが。自分を救ってくれる絶対者が。現状を変えることはできなくても、崩れそうになる精神を再び形成してくれる存在が。

 自分には絶対者というものはいなかったし、それは今もそうだ。おそらく一生宗教にハマることはないし、救いを求めることもない。でも必要としていないわけじゃない。多分傍から見たら恵まれた人生を歩んできていて、絶対者を必要ともしない側の人間に見えるんだろうな。浅い苦悩しか持っていないように見えるかもしれないし。

 

 この映画、色んな視点から見ることができると思うんだけど、社会問題とか時事的なものを取り扱ってる割にソレジャナイ感が強くて。映画の公開が2001年で当時俺が15、6歳。ほぼ登場人物と同世代で、バタフライナイフやらバスジャックやら荒れる14歳だのキレる17歳だのが話題になったのを、この映画の中に出てくるのを見て思い出した。でも社会問題なんてもんは正直どっか別の国の話で、中学生にとっては身の回りのことだけが自分たちの世界なのでよその国の同世代が事件起こそうがどうでもいいのよね。この映画も特段社会問題としてのアプローチも、ましてや解決方法の模索なんかもせず、淡々と鬱屈とした14歳の日常を描いていてそれがすごく良いなって。

 

 音楽と映像は言うまでもなく。映像に関しては田園風景ってこんなにも美しいものなんだなあと思わされるし、津田がカイトを飛ばすシーンから続く数分間とか、星野が枯れた田んぼの中で叫ぶシーンとか、印象的な部分がたくさん。あとリリイシュシュって最初UAだと思ってたんだけどSalyuだったのね。charaといいこういうオルタナ系好きなんだなー、そしてまた映画とよく合う。bankbandみたいな自意識と思想のダブルパンチみたいなのぶっちゃけ好きじゃないんだけど、こうやって聞いてみるとたまらなく琴線に触れるものがある。映画ってすごい。

 

 インターネット掲示板、というものに時代を感じる。インターネット=匿名だったころ。2001年だと俺もまだあまりネットはやってなかったかな?と思って当時のこと思い出してたんだけど、ダイアルアップ回線で画像1枚見るのに2分とかかかるレベルの環境で2ちゃん見てたんだった。今のネットって昔に比べて相手が見えるようになった気がする。

 大学時代(特に1、2年生の頃)友達が本当にいなくて、自分の生きている世界の中心が2ちゃんだったことがあるのよ。カラオケが好きだったからカラオケ板に入り浸っていてそこで人生初となるハンドルネームを持って固定のメンバーと毎日やりとりしていて。今もツイ廃でtwitter入り浸ってるけど当時の比重は(精神的な意味で)比べものにならなかった。当時はそれが唯一のコミュニケーションで救いだった。

 蓮見にとって直接の神様はリリイシュシュなので少し話は違うけれど、リリイシュシュを崇めるファンサイトを星野という自分から色々なものを奪った人間に侵食されたときの絶望感はわからなくもない。救いを求めるくらい依存していた場所と相手が無くなってしまったら。最後にダフ屋からチケットを買わなかったのはもはや純粋な救いとしての価値を星野に奪われてしまったからなのかな。チケットを奪われても見ようと思えば見れたはずなのに。

 あのあとリリイシュシュを聞かなくなった蓮水は代わりの神様を探すんだろうか。自分が守れなかった久野を代わりにはできないよなぁ。強く生きる久野を見習って蓮水も立ち上がるんだろうか。いじめられてもレイプされてももはやリリイシュシュを必要としなかった久野の印象は強く残るけれど、そうやって生きていける人間なんてどのくらいいるんだろう。

 

 

意思

自分で何かを決めることがとても苦手だ。

それは優柔不断とか、完璧主義とかそういった理由はもちろんあるんだけど、もっと根本的な原因としてこれまで自己決定というものをしてこなかったからだと思う。

大学を選ぶときは、1年生の時模試の成績がたまたま良くて、担任に勧められたところを何となく志望校にしてしまっていたし、それと自分の意思との境界線について意識することもなかったのでそれに抵抗を感じることもなかった。

就職の時も自分で決断できなくて迷いに迷った覚えがある。

小さい頃から親が過剰に口を出してくる家庭だったので、抵抗さえ覚えなければ従うだけでよくてすごく楽だったんだろう。

 

選択をするというのに本当に疲れる。

例えば休みの日にどこかに遊びにいくとして、絶対に最適なところに行かなければならないという強迫観念みたいなものがあるので、どこで何をやっているか入念に調べて、自分が今何をしたいかを考えて、気がついたら午後になっていたりする、みたいな無駄なことも多々ある。

最適な選択とか絶対的な正解とか、常に100点でなければならないと思うと足がすくんで動けないもので、人生の大きな決断の場面だとものすごくプレッシャーだったり。

その割に他人に決めてもらう分には割と抵抗が少なかったりするのは俺の卑怯なところだと思うんだけど。

 

もっと良い選択肢があるとしても、80点ならまあいいか、とか、複数ある正解のうちの一つを選べればいいやみたいな考えができると良いのだけどなあ。

怖いんだよな。