ノスタルジア

映画を見たので感想を。

タルコフスキーノスタルジア

タルコフスキーは「ストーカー」「サクリファイス」「惑星ソラリス」を見たのでこれで4本目。どの映画もそうだったけれど、映像1つ1つが息を呑む美しさ。

水、炎、霧、光、影、ほとんどの映像がモノクロに近いのに、これらを撮るだけで全て神秘的な映像になるのがとても不思議。単なる草原や廃屋ですら神秘的な場所のようで。

 

 出てくるのは、モスクワ出身の詩人の男、男がイタリアを訪れている間の女通訳、世界の終末を信じ7年間家族を家に閉じ込めていた「狂人」のほぼ3人のみ。

 詩人が取材で訪れたイタリアで世界の救済を願い奇行を繰り返す「狂人」と出会い、世界を救うにはとある温泉を蝋燭の炎を消すことなく渡りきらなければならないと聞かされる。狂人に魅了され対話を繰り返そうとする詩人に愛想を尽かし離れていく女通訳。詩人は狂人と対話をしながら、水や火や廃屋のイメージの中でモスクワの風景や残してきた家族のことを何度も考えるようになる。

 しかしある日狂人はローマの街中で世界を救うための演説をした後、「音楽を発動」すると言い焼身自殺をしてしまう。同じ頃、詩人は狂人から世界を救う方法として伝えられた、温泉を蝋燭の炎を消すことなく渡りきるという儀式を行っていた。何度か失敗した後ついに渡りきった詩人はその場で倒れ、故郷モスクワとイタリアの教会が融合した景色の映像で物語が終わる。

 

 正直何を言いたいのかよくわからないんですよねいつものことながら…秩序だったストーリーがあるわけでもないので。

 ただやはり頭から離れないのは「救済」という言葉。「サクリファイス」では核戦争勃発のニュースを聴いて、神を信じたことのなかった男が初めて神に祈りを捧げ、世界を救うために自分を犠牲にすることを誓っていた。「ノスタルジア」も同じように詩人が倒れることで、もしかしたら本当に世界が救われたのかもしれない。もっとも、どちらの映画も世界の終末というのが確定的な現実として描かれていないので、「サクリファイス」では男が次の日起きた時にはニュースでは核戦争のことなど報じていないし(それでも男は誓いを守り家に火を放つのだけど)「ノスタルジア」だって狂人の言葉以外に世界の終末のことは描かれていない。狂人が世界の救済を説いて焼身自殺する際にこの映画では数少ないBGMとして第九が流れるのだけど、その第九はリズムが狂っていて狂人の「殉教」が滑稽なものに見えてしまった。

 

 だからこそなんだろうけども、その対比として頭に浮かぶのが個人の魂の救済の方だった。詩人が死ぬときに映し出される、故郷とイタリアの神殿の融合した景色や、何度も途中に出てきた回想の場面からも、彼にとっての救済は子どもの頃に過ごしたモスクワでの生活なんだろうということは察しがつく。そして通訳の女は途中に挟み込まれる幻想的な映像の中で故郷の家族、あるいはイタリアの教会で見た聖母と融合した姿で表されるのだけど、現実の彼女は詩人に愛想を尽かしたあと、イタリアの実業家らしき男と結婚したと思われる場面が描かれる。こうして現実と対比させられることで詩人の内面世界がよりクローズアップされている気がするのだけどそれがどこまでも孤独で、過去の記憶にしか救いを求めることのできない苦悩が際立っていたように感じた。

 

 セリフも文学的というか哲学的。狂人の言葉で「1滴プラス1滴は2滴でなく大きな1的になる」というのがあり、狂人の住む廃屋の壁には「1+1=1」という式が書かれているのだけど、これが何を意味するのかさっぱりわからない。映画の途中詩人の意識下の世界で鏡に映った詩人の姿が狂人になるシーンがあるのだけど、おそらく詩人と狂人は統合された表と裏のような存在なんだろうな。さっきから何度も融合という言葉を使っている気がするし、そのへんと関わりがあるのかもしれない。狂人の演説の中にも「魂をあらゆる面で広げるのだ、世界を存続させたいのなら手をつなぐことだ」と言っている部分があった気がする。

 

なんか色々難しかったけど映像の美しさだけでも見る価値がある気がする、どのシーンを切り取っても絵画的で、繊細な色彩感と狂気的と言っていいくらい拘りを感じる構図は本当に素晴らしいので。

冷めたスープ

今年は多分人生で一番ライブに行った年になる。

今まで2桁行った年なんてなかったし、来年以降もそんなにたくさんは行けないだろうから。

yazzmadもいなくなっちゃうしね。今度から何を目当てにライブ行こう。

Femme Fataleとかメガマソとか聖さんとかそのへんが複数被ったらかな。

基本的に対バンイベントって8割くらいが好きなバンド、気になるバンドじゃないとあまり行く気が起きない。

出る数にもよるけど、大体1バンド30分くらいでしょ?

それのバンドだけ見るために行くとすると、30分のために4000円とかかかっちゃう。

時間単位で8000円よ。それってすごくない?

TDLなら1DAYパスポートが約7000円。一日遊べちゃう金額を1時間で消費しちゃう(別にディズニー好きでも何でもないけど)。

映画も高い高いと思うけど2時間で1800円とかだしさ。

そう考えるとライブって贅沢な娯楽だよね。チェキとかグッズとか買うこと考えたらなおさら。

お金の問題じゃないのはわかってはいるけど、他の何物に代え難い体験なのもわかってはいるけど。

逆に言えばお金をそのくらいつぎ込んでも惜しくない、って思えるくらいのめりこめてないってことでもあるのでそれは悔しいかなぁ。

性格上そのくらい夢中になることは間違いなく一生ないってわかってるからこそ、そんな気持ちを味わってみたい。

 

夢中になる、ってこととは無縁に生きてきた気がする。

何やっても長続きしないし、これをやってる間は時間を忘れてしまうみたいなものもないし。前にも書いたけどライブ中も仕事のこと考えてたりするし。

 

そしてお金を注ぎ込むものがない割にお金が貯まらないのは何故…

つらつら

屋上に上っておけばよかったと思う。
うちの高校は応援団の力が強くて、屋上は常に応援団が練習をしていたからのんびりできるムードではなかったけれど。
高校の時の思い出と言えば、5階に隔離された囲碁部の部室で大貧民に興じていたこと、
3年の受験期にはジャンヌやCoccoやラファエルを聞きながら、図書室で数学を解いていたこと、
木曜日の昼休みは図書室でAERAを読んでたこと、
そのくらいしかない。これが思い出なんていう単語に当てはまるのか怪しいし、そもそもクラスメートの名前なんて全然思い出せない。
別に虐められていたとかそういうのではないけれど、ただボンヤリしていたのだと思う。

本当に狭い世界に住んでいた。実際の行動範囲という点でも、精神的にも。
その時はハッキリと自覚していなかったけど、それでもわからないなりに東京に出て何かを変えたいって思いだけはあった。
運良く志望校に入り、彼女もでき、あちこち出かけ、服装も変えた。
その瞬間、その瞬間は満足していた、つもりでいた。

でも今思うとやはり狭い世界に住んでた。
根本的には何も変わっていなかった。
多分今も何も変わってない。ただ、もう30歳になってしまったという焦りだけがある。
だからせめて高校時代に屋上に上っておきたかった。
一度くらい授業をサボってでも。
クラスメートの名前を一人でも覚えておけばよかった。
そんな1mm、1mmの厚みが欲しい。
facebookで他人の生活が見えるようになったからかな、こんな風に思うのは。
色んな物への、多分多数の人にとっては当たり前なことへの憧れ。
ないものねだりとも言うのか。

今できることって何だろう。

捨てるということ

最近あまりにも散らかってるので重い腰を上げて片付けをしようとしたけれど、どうしても本や服が容量オーバーになってしまうので少し捨てることにした。 

服なんて特に数年で好みが変わったりサイズが合わなくなったりで着ないものが多くそれだけでダンボール2つくらいになりそう。 

しかし、基本的に物が捨てられないタイプの人間。
別にもったいない精神とか、エコがどうとかではなく思い入れの問題で。
思い入れというほど特別なイベントのときに着た服ではなくても、「これは上京したばっかりのときによくわからず下北で買ったんだったなー」とか、「これ着てた頃は~に住んでて~でよくご飯食べて・・・」とかそんなレベルのことで捨てるのを躊躇ってしまったり。
物を捨てる、っていうことが、自分の歴史をそのまま捨ててしまうようでちょっと不安。
もちろんそんなことはなく、物は物だってのは頭じゃわかっていても。
無くなって困ることも無いのに。 

自分でもなんでこんな考えになるのか不思議。
過去を思い出す方法なんて他にもあるし、さらに言えば特別思い出したいわけでもない、無くなっても構わないくらいの過去のほうが断然多いのだけど。

そんなことを考えながら新しく増えてきた服を整理しかけたままになってしまっている。
新しい服があるということは、それもまたリアルタイムの歴史の積み重ねであって近過去であるそちらを優先してやらなきゃいけないんだよなぁ。

関係ないけど物には魂が宿るなんて昔からよく言うけども、捨てたらその魂はどこに行くのか小さいころ考えてたことがあった。
そして今は部屋の物には思い出とかそういうものが宿ってる気がするのだけど、焼却されたらちゃんと成仏してくれるのかしら。
変な話だけど、思い入れが強い場所とか長く居た場所にはその時のままの自分の亡霊みたいなものが残ってる気がするんですよ。
例えば上京したての頃に住んでた街には、今も20歳前の自分が当時付き合っていた相手と幸せそうにしてるんじゃないかとか。
別の場所では思いつめて当てもなくフラフラ夜中に彷徨う自分がいるんじゃないかとか。
そしたら何年も居た大学のキャンパスなんかすごいことになってそう。

色んな物や場所に自分を結びつける傾向が強いからだめなんだろうな。
切り捨てられる人ってよっぽど合理的で強いんだろうな。
とは言え引越しの前には少しずつ捨てないといけないね、いつまでもこうしてられないから。