青臭い話

いつもと言えばいつもの事だ。


昔高校時代の友達と会ったときに、そいつが「生きる意味ってなんだろう」とめちゃくちゃ王道の悩みを抱えてて。

正直その手の悩みをバカにしてたんだよね。生きているのはあくまで結果であって、目的があって生まれたわけじゃないんだから意味なんてそもそもあるはずがないって。

そんなこと考える意味もないし目の前の事だけこなせばそれでいいんだって。

もちろん口には出さなかった。


まーでも最近ちょっとわかるようになってきた。

「意味」を与えられるものだと捉えるんじゃなく、自分で作り出すものとして考えた時に何も思い浮かばなかったら確かに悩むよなと。

そう思うようになったのは、自分がまさに今虚無感に襲われてるからなんだけど。


多分普通の人は二十歳前後にそういう悩みにぶち当たるんだけど、不幸にも俺は人生に対する危機感が致命的に薄くて、全然人生に意味を持たせようともしなかったおかげで本当に薄っぺらい10年を過ごしてしまった。

今になって危機感を覚えているのはこれからの人生やれる事がどんどん限られてくるのを実感してるから。

今のうちになにかやらなきゃって焦りが意味のある人生にしようっていうモチベーションに繋がってきたんだけど、そういう焦りは学生のうちに持つ方がより効果的にその後の時間を使える。

20歳のうちに焦っていれば出来たことも30歳になってからでは出来なかったりするから。仕事や友人関係の縛りのキツさだったり、家族を持てばお金も時間も自由に使えなかったり。

そんな当たり前のことに今さら気づくとか本当に計画性がない。

もう理想のルートには戻れないし人生消化試合に入った感じさえある。

40歳になったら、30歳のうちにやっておけばよかったことが色々出てくるんだろうってことはさすがに予想がつくので、同じ過ちを繰り返す前に死にたい。

本にまつわるちょっとした記憶

基本的に自分は本を読まない。

小学生の頃なんか、学校の図書館の利用履歴が夏休みの読書感想文用に借りたものだけだったし、その後も気まぐれで雰囲気が気に入った小説を買っては放置してを繰り返してたくらい。

金原ひとみとか、本多孝好とか、何となく波長が合うなと思った人のくらいかな。ちゃんと読んだの。


昔付き合ってた女の子がいて、ちょっとしたきっかけがありその子の友達とも仲良くなった。

言葉に力がある人だった。単なる日記であっても、詩のような言葉でも、読んでいてとても揺さぶられるものがあった。あの人みたいにちょっとした一言で余韻を残すことは、自分にはこの先ずっとできない気がする。


その人からある年誕生日プレゼントをもらった。その時の流れはうろ覚えなのだけど、うちに手紙が送られてきて、その手紙の暗号を読み解くと最寄りの郵便局にたどり着いて、そこで局留めの誕生日プレゼントを受け取ったんだと思う。

中に入っていたのはお香と、山田詠美の「姫君」。

お礼の連絡をしたら「きっと君は気に入ると思うから」と言われた。


多分その人が言うのなら間違いないんだろうと思った。そのくらいその人には何でも見通されてると思っていた。

でも俺は本を読まない人間なので、そのまま放置してるうちに当時の彼女とも別れ、その人とも音信不通になってしまった。


そんなことがあったのを思い出したのは、眼科に行く時に待ち時間を潰すのにたまには本でも持っていこうと思って何となく手に取ったからだった。

短編の最初の話を読んだところで終わったのだけど、すごく読むのにエネルギーが必要な小説だった。

毒とか、情念とか、愛情への執着とか、歪んだものの見方とか、文章の温度の低さとは真逆の濃さを含んでいて、何となくあの人っぽいなと思ったりして。


本でも音楽でも、やはり勧められた時に体験するべきだ。今の心の鈍った自分が読んでも響くのだから、当時の不安定だった自分が読んでいたらどんな影響を受けたのだろうと思うとゾクゾクする。


今の俺だったら何を勧めてくれるんだろう、と一瞬思ったけれど、多分今の俺に見繕う本はあまり面白くないんだろうなと考えてしまった。





底の抜けたバケツのような。

 昨日見たテレビの話。某公共放送の深夜にやってたやつで、色んな経歴や経験を持った人にインタビューするという内容。

 今回のテーマは「キラキラ女子アカウントの中の人」で、要は嘘の経歴、嘘の自分をネット上で演出するためにこういう努力をしてます~って話なんだけど、そこに共感もするし呆れもした。

 ツイッター上の設定では港区のOLで彼氏の他に大手広告代理店の遊び相手がいて、でも実際は大阪の周りが田んぼだらけの田舎に住んでる年収250万の事務員、って言ってたな。演出するためだけに東京に来て無料で綺麗な写真の撮れるスポットやおしゃれなご飯のあるカフェで写真を撮りだめしたり、ネット上で拾ったホテルの写真に近所のカフェのご飯を組み合わせてコラージュしたり、色んなノウハウがあるみたいで、それを考えつくことに感心したんだけどやっぱり話を聞いていると病的で、それがまたちょっと個人的には魅力だった。

 承認欲求、なんて手垢のついた言葉を使うまでもなく、人から憧れられたい欲望なんて少なからずみんなあると思うけれど、「本当の自分ではない自分」への憧れで満たされるのかどうかは人によるんだろうなあ。俺はそれでは多分満足できない。多分それは「自分の価値」に未練があるからなんだと思う。

 この中の人に司会者が「リアルな生活を向上させようと思わないの?」って聞いたときの回答が「う~ん…もう諦めかけてますね」「身の程を知ってしまったというか」というような内容で、ああ、だからこそ割り切って架空の自分を作り上げられるんだろうなって。ロールプレイングで遊んで満たされるならその方がいいのかもしれない。

 でも、ここまで極端な例じゃなくても架空の自分であっても承認されたい人は実はたくさんいるはずで。この番組を見て頭に浮かんだのが自撮りなんだけど。お手軽に加工してグレードアップした自分を褒めてもらって、それで満足できるなら偽装キラキラの一歩手前だよなって。現実には得られない快感を知ってしまったらやめられないよな。俺がそれをしないのはさっきの「本当の自分への価値」の問題じゃなく、単に男がそれをやるのは気持ち悪いっていう前時代的な価値観のせいなので…

 みんながみんな偽装して、自分が自分の手を離れていくってまるで俺が好きなサイバー系のディストピアみたいですごく面白いのだけど、こういう番組が面白がられるうちはまだまだその段階ではないってことだろうね。

 

岐路

歳をとるごとに選択肢は狭まっていく。
それは他人に強制されたものであれ自分が選んだものであれ、既に敷かれたレールに乗ることで、優柔不断な自分にとってはある意味では楽なことでもある。
レールにはもちろん支線はあるのだけど、大本のレールを選ぶのに比べたら些細なことだから。

人と話す度に感じるのだけど自分は結婚には向いていないタイプで。
友達とは気兼ねなく遊びたい。遊びに行ってノリで泊まってグダグダしたり。思いつきであちこちフラフラしたり。結婚相手は文句も言わず送り出してくれるけれど、1人でいるのが嫌なことは知っているからやはり罪悪感で完全には楽しめないし。
ただでさえ俺は腰の重い人間なのに、ますます行動力が鈍くなってしまう。
結婚は間違いなく自分が選んだレールなので後悔はないけどね。

うちの母親は相変わらず独親で、リアルタイムで障害になっているけれど、今度ばかりは乗り越えないといけない。
自分が折れるのか縁を切るのかわからないけど。

とにかく後悔するのが嫌だ。
好きなことをしたい。
俺が求めているものは全部手に入れたい。


S君の話

大学の同級生にS君という人がいた。

入学した時同じドイツ語クラスで、印象としては大人しくて目立たない人。けど、しゃべるとボソッと面白いことを言う。

俺もS君も積極的に人としゃべる方ではなかったし、友達グループも違っていたからほとんど会話した記憶はない。

普段どうやって過ごしていたかもよく知らない。


3年生になり、研究室に所属することになった時も、S君と同じ研究室になった。それもお互い知らなかったし偶然なのだけど、S君はなんとなく俺と似ているのかもしれないと思った。

S君は真面目で大人しかったけれど、人と話しているときは笑顔で穏やかな雰囲気だったし特別変わった人というわけでもない。

内容は覚えていないけれどたまに俺とも会話をすることもあった。


ある時から、S君が大学に来なくなった。と言っても俺はそのことに気づいていなかったし、それがわかったのはS君が頭に包帯を巻き松葉杖をついて授業を受けているのを見てからだった。

噂によるとどうやら交通事故にあったらしい。その姿を見て災難だなーとか、それでも大学に来るの偉いなーとか思ったけれど、詳しい事情を聞くほどの距離感でもなかったし、言ったら悪いけれどそこまでの関心もなかった。

しばらくはそんな姿で大学に来ていたS君も、段々回復してきたようで気づいたら包帯も松葉杖も無くなっていた。でも、S君を見ていて以前とは何か違う感覚を覚えた。

障害が残ったとかそういう類ではなさそうだし何だろうと思っていたんだけど、何となく感じたのは目の光が薄いこと、そして以前にはなかった人を寄せ付けない空気。

取り巻くオーラのようなものが変わった、としか言いようがなかったのだけど。実際事故に遭ってから彼が人と会話するところを全く見なくなった。俺が見ていないだけで実際は誰かと遊んだり話していたのかもわからないけれど、それにしても笑うこともないしどこか精気の抜けた人になってしまったのは間違いなかった。それまで関心のなかったS君だけれど、その変化は印象的で気になっていた。

4年生になってからだったと思う、ある日S君が死んだ。それを知ったのは教授からの話だった。特に死因は言わなかったが、お通夜の日程と、研究室のみんなには行ってやって欲しいとのことだったので、とりあえず必要なものを揃えて行くことにした。

お通夜は身内を含めても初めて行くので緊張した覚えがある。そこで、たまたま同じ高校から同じ大学に進学した友達に会った。研究室は違うしクラスも違ったので何故いるのか不思議に思ったので聞いてみたら、驚くような答えが返ってきた。

どうやら、S君も俺達と同じ高校だったらしい。同じ高校からこの大学に来たのは確か10人くらいだし、他人に関心が無かったにしてもこれまで気づかなかった事に我ながら呆れたし不思議で仕方なかった。

でも本当に驚いたのはその後で、そのお通夜のときS君のお母さんから話しかけられたときだった。どうやら俺のことを知っているらしく、どこかでお会いしていたか聞いてみると、なんとS君は俺と小学校が同じだったそうだ。しかも俺は高校がある市に引っ越してきたのが10歳の時で、S君と一緒だったのはその前の小学校だった。

全く気が付かなかった。お通夜のあと色々思い出してみようと考えていてふと頭に浮かんだのが、小学校3年生のとき同じクラスにいた頭の良い子だった。俺も小学校のとき成績がよかったので勝手にその子のことをライバルのように思っていた。

小学校3年生の時の担任は色々独特の教え方をしていて、テストで満点を取るとその都度教室の後ろにシールを貼り、集めるとお手製の賞状をくれるのでムキになってその子と最多賞を争ったり、グループワークをした時はその子が褒められたのが悔しくてグループワークを放棄したりした事もあった。

それが、おそらくS君だったと何故か確信を持った。

結局彼の死因はしばらく誰も口にしなかったけれど、彼が事故にあってからの様子や表情は、やはり自殺だったのだろうと思わせるのに十分だった。まぁそもそも誰も口にしない時点で察せられるものだけど。

小学校の途中までと高校が同じだったことに全く気づけなくて、大学も同じなのにほとんど会話をすることもなかったくらいなのだから当然彼が何を考えどういう経緯で死んだのかは想像もつかない。

俺も自分のメンタルのことで精一杯だったし。そんなことを何故か急に思い出したので書いてみた。

彼を救いたいとか、今の俺ならなら何か違った接し方ができただろうとかそういうことではなくて、単純に何故雰囲気が急に変わったのか、何故死ぬことにしたのかが気になる。事故で人生観でも変わったのか。他に事情があったのか。S君は、俺以外の人からどう見えていたんだろうか。何故俺はS君を思い出せなかったのか。


30歳にもなると近しい人の中で自殺者が出る事なんてそんなに珍しくないのかな。

死ぬ前の人の話を聞いてみたい、考えていることを知りたいとよく思う。死ぬ前じゃなくても、なんかそういう、人生観や死生観に関する話とかね。できる人なんてなかなかいないもの。みんな何を考えて生きているんだろうね。


うちの妻ってどうでしょう

うちの妻ってどうでしょう? 1 (1) (アクションコミックス)

うちの妻ってどうでしょう? 1 (1) (アクションコミックス)


最近読んでた漫画。
これね、作者の半自伝みたいなシリーズなんだけど面白くて。
前日談的な、作者が高校の頃を書いたシリーズから読んでたんだけどとにかく卑屈でネガティブで。社会に対する呪詛と被害妄想が凄い。
俺も大概だけど、この人には勝てないかもしれない。
さすがに「渋谷にいる男は皆カワイイ子5人くらいとセックスしているに違いない」とまでは想像力働かないもの笑
でも基本的な視点はすごく共感できたので、個人的にはすごくハマる。活躍してる芸能人やスポーツ選手が年下だと凹むとか、自分の行動範囲が家の中とブックオフしか無いことに気づいて自分の人生はつまらないと嘆くとか。辛酸なめ子とか好きな人は好きかも。

で、タイトルにある妻が、すごくかわいい。漫画の描写だとぽっちゃりしてて手足が短い、らしいんだけど、見た目どうこうじゃなくのんびりした癒し系なかわいさ。元ヤンキーで癇癪持ちで戦闘力が高いのと意外としっかりしてる所も。自慢なんだろうなー直接そうは書かないけど。

シリーズが続くと子どもが生まれたり家を買ったりっていうイベントが発生するんだけど、それを見てると、言ったら失礼だけどよくいわゆる「真っ当な」人生コースを歩めてるなと…
この作者、自分の子どもの漢字も書けないとか、家事関係できないとか、対人能力の低さとか、見てると普通に生きていくのかなりハードモードなタイプなのよね。収入もいくらあるのかわからないけど、ローン組めるってことはそれなりにあるのかなぁ。
でも俺も仕事が安定してること以外は人のこと言えない類の人間なので、ちょっと親近感があったりして。
俺の周りは比較的堅実で、共働きで貯金もしてて人間的にも問題なくてきちんとした人生プランもあって、っていう人が多いので正直俺としては参考モデルに出来ないんだよな。俺はルートとしては普通の、結婚して家を買ってっていう生き方をすると思うんだけど実際問題他の人たちみたいにそれが出来るのか不安で仕方なくて。
そんな中でこの漫画を読んでると、ある程度フィクション混じりとは言え、意外とこういうもんなのかなぁと思ったり。作者も収入の減少とか夜な夜な不安になって眠れなくなったりしてるし、都営住宅に運良く入れたから良かったって話もしてたけど。それでも自分の周りの堅実な人たちよりはこの家の方が近いなって思っちゃう。

この人かわいい奥さんもいて、家も買って、子どももいて、これだけ見ると安定してるのに、それでも世の中に対する呪詛は消えないのが面白い。実際、自分もリア充じゃないかみたいな批判はされてるらしいんだけど、そういう問題じゃないんだよね。
リア充ってのはステータスで決まるんじゃなく気質だと思ってるので、もうどうしようもないんだよ…。わかるわかる…。
若いうちにスポーツバーで男女混合でウェイウェイしたり合コンしないと一生こじらせたままになるし、合コンを楽しめる性格になるにはそもそも小さい頃からの女の子との接し方が大事だし、30過ぎて軌道に乗った所で取り返せるものではないからね…

とにかくひねくれた人、こじらせた人は楽しめる漫画だと思うのでオススメです。もっと前の作品の、「僕の小規模な失敗」もひたすら陰の道を歩いているような感じで学生時代にマジョリティでいられなかった人には刺さると思う…

微熱

好きなものを好きだと表明することは簡単だ。

俺はヴィジュアル系が好きで、小学生の頃ラルク黒夢SOPHIAと出会ってから今に至るまで聞く音楽の大半はヴィジュアル系だった。

ヴィジュアル系の中にはサブジャンルがいくつもあるけれど、そんな括りに関わらず、死にたくなる気持ちに寄り添う曲、気分を上げる曲、ボーッとしながら聴きたい曲、色んな気持ちを内包するヴィジュアル系というジャンルが自分にはとてもしっくりくる。

どれだけ明るい曲を演奏しても、ファンを含め全体を見るとどこか歪で危うさを感じるところも好きだ。

これから自分のライフスタイルがどれだけ変わっても、ヴィジュアル系というものについて興味がなくなることはおそらく無いし、間違いなくずっと聞き続ける。


でもどれだけ自分が好きだと思っても、自分の人生でこれ以上好きになるものがないと思っても、その熱意は決してバンギャルという人種には勝てないと思う。

もちろんお金の使いっぷりだったり遠征する行動力だったりそういう面でも熱の違いを感じるんだけど。

何より好きだという気持ちが一番強く現れる瞬間というのは、好きだと言う時よりも、嫌いだ、憎い、悲しいという時なんだなって、Twitterなんかで感情をあらわにしている人を見ると思ってしまう。

本命バンドマンに対する失望や怒り、解散してしまってもそのバンドの事ばかり考える執着、そういう場面を見てしまうと一種の疎外感を味わうくらい。

好きでいるフリはできても、嫌いなフリや憎いフリをするのは多分難しくて、そこで本当にその人が好きかどうかがわかってしまうと思う。

俺はそこまでの感情を特定のバンドやバンドマンに抱いたことはなかったな。生まれ持った性格なのか、異性に対する目線と同性に対する目線の違いなのかわからないけれど。当人達にとっては辛いのだろうけれど、少し羨ましい。